の日

5月の第二日曜日は母の日です。この習慣は、19世紀中頃のアメリカ南北戦争時まで遡ります。戦争で負傷した兵士達を献身的に助けた女性の娘さんと、助けて貰った兵士達が、この女性の追悼の為に彼女が好きだった白いカーネーションを捧げた事に始まります。日本ではアメリカ同様に5月ですが、イギリスでは3月にあります。年に一度だけ感謝の気持ちを伝えればいいというわけではありませんが、大切にしていきたい習慣だと思います。

弘法大師と御母公

さて、真言宗の開祖弘法大師とその御母公の玉依御前(たまよりごぜん)との間には次のようなお話があります。

お大師様が高野山を開かれたという話しを聞いた玉依御前は「我が子の開いている山(高野山)を一目見たい」願われました。そして当時82歳というご高齢でしたが、お大師様の御生誕地である現在の香川県善通寺から、和歌山県の高野山へ向かいました。

修行者を律するためにも、当時の高野山は女人禁制でした。そのため、お大師様はやむをえず、母親を山麓にある慈尊院で迎えられました。慈尊院は、お大師様が高野山を開創した時に、参詣の表玄関として創建されたお寺になります。

慈尊院に居る御母公を、お大師様は月に九度は必ず高野山上より二十数キロもの山道を下って尋ねられたといわれます。

お大師様が月に9度も御母公を気遣って尋ねられことから、この地名は「九度山」と称されるようになりました。

子である弘法大師を思う玉依御前の愛情、そしてお大師様の温かいお人柄が伝わってくるお話しです。

恩の思いを広げる

弘法大師は著書である「性霊集」の中で、「恵眼をもって観ずれば、一切衆生は皆これ、わが親(しん)なり」と説かれています。これは、智慧の眼で観れば、生きとし生けるものはすべて、自身の親のように親しい存在ということです。

又、曹洞宗のご開祖である道元禅師は「一切衆生斉しく父母の、恩のごとく深しと思うて、作す所の善根を、法界にめぐらす。」と説かれました。

今ある自分を深く省みて下さい。自分の生命を知り、家族をはじめ、自分が住んでいる町・社会の仕組み、自然の恵みを知れば知るほど、普段は意識できているいないに関わらず、沢山の恩恵の中で生かされているという現実が観えてきます。

四恩抜済

仏教には、「恩を知るは大悲の本なり、善業を開く初門なり」という教えがあります。

弘法大師は『高野山万灯会願文』の中、その他著作で度々「四恩」という言葉を使われています。

四恩とは簡単に説明しますと、「私たちが常日頃に恩恵を受けているもの」ともいえます。具体的には父母、国王、衆生、三宝(仏・法・僧)の四つと言われています。

最初にあげられるのは父母の恩があります。この父母には、脈々と続く命の流れ、「ご先祖様」も含まれます。国王の恩とは、現代なら「国家」になります。衆生の恩には、家族をはじめ私達の周りの人々、友人であったり、学校の先生であったり、職場の同僚・先輩であったり、大きく見れば生きとし生けるもの全てを指します。そして三宝の恩(仏・仏が説く教え・それを伝える僧)の四つで四恩になります。

このような、感謝し敬うべきものである「四恩」に対し、弘法大師は「四恩抜済(しおんばっさい)」という言葉を使われています。

抜済とは「衆生の苦を取り去り、難を救う」という意味になります。四恩抜済とは、「恩を知り、その恩に報いる生き方をしていく」ことになるのではないでしょうか。

一度本当の意味での「恩」というものを知ると、滾々と湧き出る泉のように、どんな時でも生きる力が湧いてくるのを感じる事ができます。

 母の日を迎える今月、来月には父の日もあります。どうぞ今一度、両親への思いを深く顧みる一つの機会とされて下さい。そして、まず言葉で感謝の念を伝えて下さい。もし既に親御様が浄土に赴かれている時は、お仏壇や墓前にて、自身・家族が無事に生活できている事を伝えて下さい。決して返すことはできない「恩」を思い、感謝の気持ちを伝える日とされて下さい。そして、その思い・感謝の念を周りへと広げていけるように、日々精進していきたいものです。

合 掌

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